スイスの最高峰ブランドと肩を並べる唯一無二の存在。それが1845年に創業したドイツ時計の最高峰「A.ランゲ&ゾーネ」だ。悲運の歴史とハンドメイドにこだわりぬく姿勢が時計愛好家を魅了する。
すべてが詰まった名作 なぜ「ランゲ1」はアイコンとなったのか?
時計がファッション化し、常にトレンドが変化している時代のなかで、A.ランゲ&ゾーネの再興第一弾コレクションとして1994年に誕生して以来、20年以上もスタイルを変えることなく受け継がれている「ランゲ1」。
独創的なデザインと美しいムーブメントには、ランゲのすべてが詰まっている。
・ランゲ1
1994年の誕生以来スタイルを守り続ける“ランゲのアイコン”。2015年にムーブメントを改良版のCal.L121.1 に変更。
カレンダーが瞬時切り替え式になり、精度も向上。ラグやベゼルがわずかに細くなったが、外装は初代とほぼ変わらない。
2つの香箱を搭載しており、パワーリザーブは約72時間。ケース径38.5㎜、手巻き、18KPGケース
目に見える独自性と心に染みる伝統美
まず目に飛び込んでくるのは、オフセンター配置された時刻表示。そしてスペースにはスモールセコンドやパワーリザーブ表示を収めた。
表示を重ねないことで視認性を高めるという実利的なアプローチが、この独創的な顔を生み出している。
つまり「ランゲ1」はデザイン先行で開発されたのだ。しかも〝伝統〞も詰まっている。
大きなアウトサイズデイトは、初代ランゲが師と共に開発したゼンパー歌劇場の5分時計に由来しており、ムーブメントの4分の3プレートや精密な彫金を施したテンプ受けなど、初代ランゲが考案したスタイルを継承している。
ロジカルに生まれた機能的なデザインと歴史的裏付けを持ったディテール、黄金比率によるバランスとを組み合わせることで、隙の無い時計が出来上がった。ここにはランゲの過去と現在が詰まっている。だから「ランゲ1」はアイコンであり続けるのだ。
伝統を受け継ぐ、品格ある機構
・サクソニア・アウトサイズデイト

アイコニックなアウトサイズデイトまで黒で統一した、シンプル&エレガンスな新作ウオッチ。
ケース径は38.5mmと端正にまとめており、自動巻き式ながら厚みを9.6mmに抑えている。
カレンダーは10時位置のプッシュボタンですばやく操作できる。
ケース径38.5mm、自動巻き、18KWGケース
すべてが正確。それが信念となる
・サクソニア・ムーンフェイズ

アイコニックなアウトサイズデイトまで黒で統一した、シンプル&エレガンスな新作ウオッチ。
ケース径は38.5mmと端正にまとめており、自動巻き式ながら厚みを9.6mmに抑えている。
カレンダーは10時位置のプッシュボタンですばやく操作できる。
ケース径38.5mm、自動巻き、18KWGケース
〝職人の国〞の誇りが正確無比の時計を作る

名声が高く、スルタンへの献上品に選ばれるほどだった。
ドイツは日本同様、消費者の目は極限まで肥えている。時計以外のドイツプロダクトであっても、必ずエンジニアリングやメカニズムの説明に時間を費やす。それは消費者がそういった話を求めているからであり、機能や品質を厳しくチェックするからだという。
こういった気質がA.ランゲ&ゾーネの骨格を作った。確かに創業は1845年と古いが、第二次世界大戦後に国営化されており、伝統は分断されてしまった。それでも1990年の再興から30年足らずで〝最高峰〞の評価を受けるというのは、伝統の蓄積が求められる時計業界で考えられないことだ。
しかしA.ランゲ&ゾーネは不可能を実現した。これはドイツ人の機能と品質へのあくなき探求心がなければ不可能だったはずだ。
同社の完璧主義が現れるのが、「1モデルに対して、1ムーブメントを開発する」というポリシーだろう。機構はもちろん、ダイアル上の配置バランスにまで気を配り、最高級の機械を用意。この妥協なき姿勢が愛好家を魅了する。
つまりA.ランゲ&ゾーネは、完璧主義者の発露なのである。
完璧主義は歴史が語る。
ドイツ時計の王者その激動の歴史
完璧を目指し続けるA.ランゲ&ゾーネの時計たちは、大きな時代のうねりのなかで、もがき苦しみながら生まれてきた。
そして逆境を糧にして品質を磨き、個性を作り上げたのだ。
その1 激動の歴史を4つのピリオドに分けて振り返りたい。
創業期 1845年~

ドイツ東部エルツ山地の山間にある小さな街グラスヒュッテは、創業当時、時計作りが始まるまでは、産業の乏しい困窮地域だった。
ザクセン王国の宮廷時計師グートケスの弟子だったフェルディナント・アドルフ・ランゲは、修行を終えるとヨーロッパ各地を視察に回って見識を広め、帰国後の1845年にドレスデン近郊の街グラスヒュッテで時計会社を立ち上げる。
この地はかつて銀細工産業で栄えたが、銀山が閉山してからは主な産業がなく窮乏していた。
手先の器用な元銀細工職人たちはすぐに時計製造のノウハウを吸収したが、スイスのようにサプライヤーがあるわけではないので、原料加工もパーツ製作もすべて自前。
そこで初代ランゲは工房ごとに歯車や地板など製造パーツを割り振ることで規格化し、練度を上げることで品質を高めた。
黄金期1900年〜

1902年に作られた懐中時計には、ミニッツリピーター、永久カレンダー、スプリットセコンドクロノグラフなどを搭載。技術力の高さは既に世界トップレベルだった。
アドルフの跡を継いだ息子リヒャルトは、スーパーコピー時計の高精度化に力を入れ、数多くの特許を取得。万国博覧会で好評を得るだけでなく、高精度マリンクロノメーターが第一次ドイツ南極探検隊(1901年)に採用されるなど、様々な分野で高評価を受ける。
時計技術だけでなく芸術的な技巧も高めており、多くの王侯貴族が顧客となった。
困難期1945年〜

ランゲ再興の立役者であるウォルター・ランゲ(右)とギュンター・ブリュームライン(左)が、初代ランゲの記念碑の前で談笑。
第二次世界大戦末期、精密な時計と計器を作っていたA.ランゲ&ゾーネ コピーの工場は連合国軍の空襲の標的となり、さらに侵攻してきたソ連軍によって機械が収奪される。
戦後は東独側に組み込まれ、ランゲ家の末裔ウォルターは辛くも西側に逃れるが、会社は国営会社GUBの一部となってしまう。
再興期1990年〜

1994年に発表された復刻第一弾モデルは4種。そこには、後にアイコンとなる「ランゲ1」も含まれていた。
2015年に完成した新社屋。各部署のスペースを広げて、時計作業の効率化を進めている。
アドルフが師のグートケスと共作したドレスデンのゼンパー歌劇場の5分時計も、綺麗に修復された。
ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが再統一されると、ウォルターは再び「A.ランゲ&ゾーネ」を設立。
IWCやジャガー・ルクルトのCEOだったギュンター・ブリュームラインの力添えもあって、1994年には復興第一弾モデルを発表する。
まるで時代を逆行したかのようなクラシカルな時計たちは、モダン化した時計業界のなかでは逆に新鮮に映り、すぐさま人気を博すようになった。
そして現在、A.ランゲ&ゾーネは〝第二の黄金期〞を迎えている。それは逆境に負けずに信念を貫き通した結果である。